19世紀後半のマイセン:1861〜1924年

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19世紀初頭よりマイセンの経営者となったHeinrich Gottlob Kühn(1788-1870)の尽力によって長年続いた経営難からの脱却がはかられ、マイセンは産業革命による大量消費の時代に向かいつつあったヨーロッパの中においてもあえて量産の効かない職人による丁寧に仕上げられた芸術的手工芸品を作りだす事にとどまる余力を残すことができました。1850年代には薪に変わる石炭の導入や当時の最先端であった蒸気エンジンを動力源にした機械の工場設置にともなって、1861年には老朽化したアルツブレヒト城に変わって現在のトリービッシュタール(Triebischtal)に工場が移されます。この1861年からアドルフ・ファイファーが経営者となる1924年までの期間は新工場設立によって製作技術や創造活動の向上からより安定した質の作品を生み出した時期としてみなされています。故にマイセンにおいてはこの時代のアンティーク作品、特に磁器人形などは出来映えにおいてその顔立ちや絵付けの質の高さからコレクターが関心をよせるものとなっています。1815年に製作所経営者が前任のマルコリーニからキューンに代替わりした折から染付けの双剣マークがいわゆる「ぼたん剣」に変わりましたが、1861〜1924年というこの時代のぼたん剣マークはそれ以前にくらべてより均整のとれた丁寧な描かれ方が特徴ですぐにこの時代のものと判別がつきます。ご覧の人形達も1860年以降の時代の作品で、顔立ちのよさは特に優れたものでありこの19世紀後半の特徴である作りの出来の良さを代表する人形作品だと思います。

文:園田(Article by M.Sonoda)




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