マイセンの窯印 双剣マークによる時代区分

 

マイセン 飾皿 歴代双剣マーク入り

 
マイセン 双剣マーク1720
マイセンの窯印が生まれた時代は登録商標の制度がない時代であり、個々の意匠に対する専売権を守る事は困難なことでした。1718年にマイセン工場内にいた数少ない磁器製法の秘密を知る者の一人であったサミュエル・シュテルツェル(Samuel Stötzel)が出世欲の為にその奥義をたずさえウィーンに亡命したことが製法の秘密が他国に流出するはじまりとなりました。当然それをふせぐ法律がない訳ですから類似品を防ぐにはまねのしずらい高度な製法技術によって他者による偽造を排除することでした。硬質な白磁を焼成させる事自体当時はまだ不安定でしたし、釉薬下に瑠璃色の絵付けを施す染付け技法は1720年頃まではまだ試用段階でした。



マイセン 双剣マーク1722
ヨハン・シュテインブルック(Johann Melchior Steinbrück)が1722年にザクセン選帝侯の紋章にある双剣の印をマイセンの窯印とするよう提言し、1723年にはヘロルトによる染付け技法のひとまずの完成によってようやくマイセン双剣マークが改ざんのしずらい釉薬下に描かれるようになりました。


マイセン 双剣マーク1763
1731年には国王による成文により正式に双剣の窯印が義務付けられ、以降マイセンで作られる磁器に関してはどの製品にも染付けによる双剣マークが入れられるようになります。1763年から1774年までの期間に特に多く用いられた剣の交差部分に点を描いたマークがあります。「ドット剣(Swards with a dot)」と呼ばれていますが点をいれる理由は諸説あるそうですが不明となっています。


マイセン 双剣マーク1774
1774年以降に使われたマイセン双剣マークには三本線を交差させた星のような形がつけられているのが特徴で、当時の経営者の名を取ってマルコリーニの印などとも呼ばれています。マルコリーニが退職するまでの1815年頃まで使われたようです。


マイセン 双剣マーク1815
マルコリーニに代わってキューン(Heinrich Gottlob Kühn, 1788-1870)が1733年から本格的に経営責任者として携わるようになり双剣マークもまた違う形のものが使われるようになり、剣の柄の最後の部分が丸い形をして止まっている様から「ぼたん剣」とよばれる双剣マークとなりました。


マイセン 双剣マーク1924
アドルフ・ファイファーが製作所経営者として在を置いていた1924年から1933年の間だけ用いられたのが双剣の上部間に点を描いた双剣マークでした。


マイセン 双剣マーク1934
ファイファー期以降現在までほぼ一貫して変わる事なく使われている双剣マークです。


マイセン 双剣マーク1972
1972年以降に特別な記念作品につけられていたもので、双剣マークとともに「Meissen」の文字が入っているのが特徴ですが、今現在でも使われているかは不明です。近年の記念作品には通常の染付けによる双剣マークの側に、マイセン275年周年記念だった1985年の作品には金彩で「275」の文字が入ったり、1999年以降より始まった記念限定復刻作品にはリミテッドエディションを示す「LM」のシンボルマークが金彩で入ったりします。 

文:園田(Article by M.Sonoda)




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